昭和中期の最盛期には全国に50余の瓦産地が多彩な地域の風土瓦を生産していた。現在は、三州、淡路、石州の3大産地に絞られたが、特に日本海側の安田瓦、越前瓦、石州瓦の産地では、それぞれ雪に対する対処策を独自に昇華させ、地場産の粘土と釉薬に異なる焼成法を編み出し、地場の要望に応え地域の景観をつくってきた。

日本の瓦の歴史は1400年。全国各地に達磨窯が普及し始めてからの約500年が、草葺き屋根と共にこの国の屋根景色をつくってきた。全国50の瓦産地が生まれた。北関東の瓦産地である藤沢市の達磨窯で焼かれた窯変剥離瓦、均一で精度の高い三州瓦とは真逆な班だらけの地場の瓦。江戸後期でも和型の瓦が葺けるのは商屋が豪農の母屋で民の大半は草葺き屋根住まい。草葺きの経年修理の連続の中、三河から流れた瓦職人が持ち込んだ簡易瓦が大当たり。畑の粘土を使い小さな窯で焼ける。100年後、群馬で2種類の瓦を重ね合わせる、新作「能瓦」の誕生。瓦に蓄熱される熱を放出する仕掛けの「離瓦」などのタブー瓦が、三河、淡路、石州の3大瓦産地に影響を及ぼす。土壁、煉瓦、瓦に共通するのは手作り感が生む温かみ。「土の感覚はヒトの脳に直接響く力がある」と、医学会、教育界から多く報告されている。淡路の平板瓦「木瓦」は原始的な板葺き屋根を彷彿させる。ガルバニウム鋼板と瓦が一体化したハイブリット屋根は、シンプルな金属屋根に小さな素円瓦が載るだけで趣がある。同じく淡路の「聖瓦」は、社寺に葺かれる本瓦葺きを和モダンに変身させた。又、「地盤液状化対策」に活かせるチップ瓦。

熱を四方に逃がす「離瓦」
2種類の瓦を重ねる「能瓦」

重ね代が自由に設定でき、壁面への採用も可能な「木瓦」

シンプルな構造がそのまま現れる「木瓦」のケラバ部分