柳井は瀬戸内海の海上交通要衝の地、商業の町として栄えてきた。当地区は、室町時代からの古い町割りをそのまま残し、約200mの東西に通じる本通りと、そのほぼ中央より南側に向けての柳井川に連なる掛屋小路の両側に形成された商屋町。
江戸時代中期から昭和初期にかけてつくられた妻入入母屋、妻入切妻、平入の本瓦葺屋根をもち白壁しっくい土蔵造りの外観を持つ商家が整然と立ち並んでいるのが特徴。
間口に比べて、奥行きが長く、敷地前面に土蔵造りの主屋があり、中庭を挟んで離れ座敷、蔵、茶室などが細長く配列している。道路に面して横方向の水路が無く、家々の間にそれぞれ南北に通じる石積み水路で排水している。この水路形態は、当時の町割り(敷地割)によるもので室町時代から各家々が隣同志共同して自発的に造り上げてきたもの。