この世に生まれたもは全て、やがて朽ち果て消えて無くなる。生滅変化してうつりかわる無常の理を思う。人はその過程において、限られた人生の中で、思考し改善し発想し、渾身の技術で実践を繰り返してきた。そこに価値の結晶が潜む。そして、ある時、当時の建築に携わった人は思う。この建物は何時まで存在し、どのように評価されるだろうか、私の刻んだメッセージやサインに気づいてくれるだろうか、と。建築はただそこに在りながら多くを発信している。紐解き感じ感動し謙虚に受け止める。私たちもまた同じだから。

価値の発見、隠されたサイン、先人の想い。
瑠璃光寺五重塔屋根葺き替え工事

現在、国宝瑠璃光寺五重塔の屋根葺き替え工事が行われています。瑠璃光寺五重塔は、日本三名塔の1つに数えられる本市唯一の国宝であり、修復を重ねることで建立以来600年近くもの長い間、その美しさが後世へと受け継がれており、この […]

「近代建築レトロ散歩:唐戸界わいまちあるき」に参加して 2023.11.18

午前中までの強風雨がうそのようにおさまり秋の日差しが心地よいが少し寒い。そんな中でこの歴史散歩が始まった。そういえば、下関は久しぶり。たまに見かける歴史的建造物を、しゃれた建物があるなと、横目で通り過ぎていた建物群が今回 […]

月輪寺薬師堂(がちりんじ)山口市徳地上村:重要文化財

開創:聖徳太子が推古17年(607年)鹿野町清涼寺(徳地町串)に清涼山薬師堂を開創再建:重源上人が東大寺再建の用材を徳地から伐出された折、時の大政大臣藤原兼実公(九条家の祖)の協力を得て、清涼寺から鎌倉の始め(文治5年1 […]

東京駅 丸の内駅舎 1914年(大正3年) 辰野金吾のクイーン・アン様式

※クイーン・アン様式:19世紀末の英国における住宅で、赤煉瓦、白い窓枠、出窓や破風の多用などの特徴をもつ様式。正確には、「ゴシック・リバイバルにおける自由でアンシンメトリカルなマスのグルーピングやプランニングと、17~1 […]

山口県旧県会議事堂(重要文化財)大正5年(1916年)大熊喜邦、武田五一

近代建築のさきがけ!○大正2年(1913年)に起工し、大正5年(1916年)に完工した。設計者は、大蔵省臨時建築部長であった妻木頼黄博士指導のもと、後に国会議事堂の設計スタッフとなった大熊喜邦や武田五一。○後期ルネッサン […]

「根津美術館」趣のある日本的デザインが魅力的!

「根津美術館」趣のある日本的デザインが魅力的!2023年5月30日 ○「根津美術館」は、東武鉄道などの社長を務めた実業家・初代根津嘉一郎氏の古美術品を保存、展示するために作られた美術館。昭和16(1941)年に開館し、昭 […]

「旧朝倉家住宅と庭園」日本の20世紀遺産20選

「旧朝倉家住宅と庭園」日本の20世紀遺産20選 2023年5月28日 ○重要文化財である旧朝倉家住宅は、宅地北側に母屋が建ち、西に土蔵、東に庭門があります。○1919(大正8年)建築。関東大震災以前に遡る数少ない大正期の […]

「旧岩崎邸」は 西洋あこがれの美学?

「旧岩崎邸」は 西洋あこがれの美学? 1896年(明治29年)ジョサイア・コンドル 2023年4月27日 洋館:様式無視ごちゃまぜ。コンドルのやりたい放題。 和館:風格ある上品さ、空間造りはさすが念仏喜十。 撞球室(ビリ […]

「法隆寺」は なぜ美しいのか:飛鳥時代の建築様式(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1)

「法隆寺」は なぜ美しいのか:飛鳥時代の建築様式 1400年前に建てられた現存最古の木造建築。金堂・五重塔を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする東院伽藍で構成。平成5年に日本最初の世界文化遺産として登録された。国宝・重要 […]

ここから下は、上記内容の追加解説しているものがあります。

■ 法隆寺は なぜ美しいのか。

非の打ち所のない揺るぎない美しさにパルテノン神殿を彷彿させる。プロポーションも美しい。自信満々に建っている。建築が強い。回廊の効果がはっきりわかる。法隆寺の構成配置は大小の建物を散らして配置し、回廊で一つの空間にまとめている。大きさと密度がちょうど良い。回廊は、空間に枠、絵を額に入れる感じ。内側の空間を引き締め、周りとの境界線の役割を果たす。完璧な構成。丹下健三さんの東京都庁舎の回廊らしき部分は影響を受けている。

檜の力。風化しても檜の質感が暖かい。柔らかさ。風化すると数ミリの幅でまんべんなくヒビが入る。触っても風合いがやわらかい。中国も韓国も基本的には建築に松を使う。檜は、火をおこす木「火の木」油分が多いからよく燃える。神社で火をおこす時は檜を使う。寺や神社に檜を使うのは、強くて粘りがあって、加工がしやすく、狂わない、腐らない、建材として最高の木。法隆寺が現代まで残ったのは檜の良材を使ったから。縄文時代の建築は主に栗、弥生時代になって檜を使い始めた。松だと、雨の多い日本では、湿気で腐っていたし、虫に喰われた。檜を建築に使う国は日本だけだった。金堂が昔焼けたとき、宮大工の西岡常一さんが燃えた材を挽いてみた。そしたら、千四百年前の檜から香りがどーッと出てきたようです。日本の檜は素晴らしい。

■ 旧岩崎邸は 西洋あこがれの美学?コンドルのやりたい放題な洋館。2023.4/27

洋館:様式無視ごちゃまぜ。コンドルのやりたい放題。

和館:風格ある上品さ、空間造りはさすが念仏喜十。

撞球室(ビリヤード室):洋館から地下通路で繋がる。

装飾的な暖炉

イオニア式列柱(1階はトスカナ式)

イスラム風天井

地下通路への階段

三間四方の9坪の「九間(ここのま)」床の間に富士山が、ど真ん中に描かれています。

矩形テーブル

三菱財閥を創業した岩崎弥太郎の長男、岩崎久弥の旧邸。当時は今の3倍も広く、建物も20棟あったといわれるが、現在は、洋館、和館、ビリヤード室、庭園が残っている。洋館はジョサイア・コンドルの設計。和館は大工棟梁、大河喜十郎(念仏喜十)の施工。明治29年築。

ジョサイア・コンドル 1852年ロンドン生まれ
現:東京大学工学部建築学科の初代教師
日本で初めて本格的な西欧式建築教育をおこなう。
門下生に、東京駅を設計した辰野金吾、赤坂離宮を設計した片山東熊など、近代日本を代表する建築家がいる。
鹿鳴館、上野博物館、ニコライ堂など多くの洋風建築を設計。

立派な和館の横に洋風応接間を作り、ソファー、サイドボード、テーブルの3点セットを玄関近くに配置するスタイル。近代の洋風なオシャレの始まり。基本的には和館に住み、来客は洋館で迎える。日本独特。
英国では、洋館をレンガで造るけど、これは木造。コンドルは親日家。屏風や扇子、茶碗にまで、生活の中に美術が浸透している日本に対し、「美の花園にいるみたい」だと。日本画好き。結局、日本に居着くことになる。和館の北東に洋館があり、その北東にビリヤード室がある。ヨーロッパや中国は絶対に左右対称に建てるが、雁行は書院造りにはじまる日本独特の配置。
パーティーの時、まずホールに集まり、最重要女性の手を主人がとって食堂に入る。その場では、男女の話題や政治、下ネタ禁止のレディ&ジェントルマンの時間。終わると、男女が分かれ、女性はおしゃべり、男たちはビリヤード室に向かう。そこでは言いたい放題の場となる。そんなビリヤード室は、スイスの山小屋風であり離れ茶室の趣で、デザイン的な調和としては巧みなバランスというか、トンチンカンにも感じる。ビリヤード室前面に列柱のベランダがあるが、寒いヨーロッパでは、ベランダは造らない。スイスの山小屋にも無い。インドや東南アジアで生まれた植民地的なもの。洋館の列柱にしても腹巻を巻いたようなデザインは中世のルールを逸脱。エリザべサン様式、ジャコビアン様式、イスラム風な天井など。イスラム風は普通喫煙室につかう。やりたい放題のごちゃまぜ洋館。コンドル先生も晩年の祝賀パーティーで「日本はヨーロッパと一緒になって新しい文化を創っていく。真ん中にイスラムがある。自分は架け橋となる」と釈明している。笑。和館の完成度は高い。和館は念仏喜十ってあだ名の棟梁に造らせた。工事しながら「南無阿弥陀仏」って念仏を唱えていたようだ。床の間の絵で、真正面が富士山は正面性の強い、しっかりした絵で素晴らしいが、珍しい。大抵は、左右どちらかにずらす。広間は、三間四方の9坪の「九間(ここのま)」、面会や法事の折にはお坊様をまず九間に通す大事な部屋。でも一時期、アメリカ軍人の諜報機関が使っていた。地下に拷問室があったようだ。銃声も聞こえ手荒く使っていた可能性が高い。GHQが去った後は、空き家放置され和館はぼろぼろだったようだ。和館は風格のあるすっきりとした上品さ、格式ある空間造りはさすが念仏喜十。
岩崎久弥さんは、すごく教養のある方で、ペンシルベニア大を出て、ケンブリッジ大にも学び、書斎で英語の動物学雑誌を読むのが好きな学者でもあった。家畜の改良に興味を持ち、小岩井農場を作り家畜の品種改良を自分でやっていた。弥太郎の没後に、三菱お抱えの建築家であったコンドルに洋館を任せた。
男子は中学生になると家から出される。「ああいうところに住むとロクな男に育たない」っていうんで私設の寄宿舎を設けて、そこに一族の男子が集められ、朝起きて拭き掃除、学校終われば勉強、乗馬、剣道と、スパルタ教育。本邸に帰れるのは日曜だけ。又、空襲があった時、近所の人が火消しにきてくれた。火が燃え始め、あまりの怖さに久弥さんの孫の寛弥さんが逃げ出そうとしたら、久弥じいさんにステッキで鉄兜の上から本気でバーンと叩かれて、「岩崎家の当主たる者が先に逃げるとは何事だ。お前が先に突っ込め」っていわれたようだ。貴族は真っ先に敵陣へ突っ込めという、イギリス式教育。

この和洋併置式の邸宅形式は、その後の日本の邸宅建築に大きな影響を与えている。

■ 旧朝倉家住宅と庭園:日本の20世紀遺産20選 2023年5月28日

○重要文化財である旧朝倉家住宅は、宅地北側に母屋が建ち、西に土蔵、東に庭門があります。
○1919(大正8年)建築。関東大震災以前に遡る数少ない大正期の和風住宅として貴重であり、近代の和風住宅の展開を知る上で重要であるとして、平成16年に国の重要文化財に指定されました。
○木造2階建て、瓦葺き、外壁は下見板張り、一部漆喰塗り。
当時、母屋1階は、家族の日常生活の場、お客様を迎える時は、玄関左手の応接間(和室)を使用。玄関右手の洋間は来客や執事のための事務スペース。客人により使い分けていたのかもしれません。北側部分は家族や使用人が使用。2階は虎治郎が会合などに使用。特筆すべきは、西側の杉の間(三間)。杉の木目を意匠のテーマにした趣味的な数寄屋座敷で、私的なお客様を応接していました。材木店で働いていた経験を生かし、自ら屋敷に使用する木材を選んだといいます。
○戦後の混乱期に中央馬事会に売却され、旧農林省に譲渡、内閣府の前身である経済企画庁が渋谷会議所として使用していましたが、2002年小渕内閣の閣議決定で再度、売却の危機に直面、保存運動が展開され、渋谷区が管理することになりました。
○接客のための座敷、家族の座敷、茶室など、機能に応じて、異なる意匠や格式で部屋のしつらえがされており、随所に工夫が見られます。又、内庭や外庭との調和が素晴らしく、景色との一体感を感じさせる建物です。歴史的な建物が人々の心に、潤いと安らぎを与えてくれる、時代を超える建物の本質を考えさせられる建物です。

1階の中の間からのメインの景色

軒の出は日差しの制御、雨からの保護に効果があります。豪華さにもつながります。軒裏は檜皮かな?

一本物の長尺材を使用しています。軒裏が網代に編んであります。要所に鉄材で保護してあります。

材木店で働き、後に水車を使った米屋で財を築かれたようです。

この杉の間には、景色との一体感に感動しました。趣向をこらした数寄屋です。国外からの見学者が多いです。

景色に心が奪われます。外との近さを感じます。

杉柱の木目に注目です。こんなの見たことない。

さりげない斜めの地袋。一枚物の床板。

2階からは、かつて富士山がみえたので、景色と一体になるように手すりが富士山のデザインになっています。

シンプルな床。

景色の良い、竿縁天井が印象的な廊下。

明かり取り含めて、さりげないデザインは印象的。

格式によって部屋のしつらえが変わります。床柱が落としてあり、くだけた部屋です。

書院の奥が開きます。裏の階段への明かり取りと、階段から見た開放感は、人の動線をよく考えています。

長押が2重で格式の高い部屋です。天井も高い。竿縁天井が格子になっています。

格式の高い部屋です。立派な欄間、天井も高い。竿縁天井が格子になっています。

かつて、富士山が見えた。

違い棚の間に家紋がしのばせてある。太陽光線で壁に映るようになっている。

座った目線を意識した襖の模様。

扇を描いたカラフルな書院

旧朝倉家住宅の庭園は、猿楽町の南西斜面、崖線という地形を取り入れた回遊式庭園となっており、石灯籠などの添景配置され配置され、四季折々の自然を楽しむことが出来ます。

石の使い方も見事だと感じます。

また、別の季節にも訪れてみたいと思わせる庭園でした。

■ 根津美術館 2023年5月30日

趣のある日本的デザインが魅力的!「根津美術館」
○「根津美術館」は、東武鉄道などの社長を務めた実業家・初代根津嘉一郎氏の古美術品を保存、展示するために作られた美術館。昭和16(1941)年に開館し、昭和20(1945)年に戦火で大部分を焼失するも昭和29(1954)年に再建した、第二次世界大戦以前から続く数少ない美術館のひとつです。
○何より、静かな池とそれを飾る苔が美しい日本庭園が最大の魅力だと思います。
○平成21(2009)年に「再生」と銘打って新創された本館は、現代日本を代表する建築家・隅健吾(くまけんご)氏の設計によるもの。切妻造の大屋根は和風家屋を思わせる趣あるデザイン。隈氏による洗練された空間が、7,000点以上所蔵されている日本や東洋の古美術品を一層魅力的にしています。特に地蔵信仰に関するものと、殷の時代の青銅器が印象的でした。
○和風の館内には落ち着いた空気が流れており、東京の喧騒を忘れさせてくれます。
○敷地内には、池を中心とした日本庭園やカフェなどもあり、お昼時には外国人観光客の行列ができていました。